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オスカー・ワイルドの生涯Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde (1854-1900) |
生:1854年10月16日 ダブリン Westland Row
没:1900年11月30日 パリ ホテル・ダルザス
1854 | 10月16日 ダブリンWestland Row21番地で生まれる |
1855 | 6月 Merrion Square North 1番地に転居 |
1864 | Enniskillen(北アイルランド
County Fermanagh)にあるPortora Royal Schoolに通う。(1871年卒業) Portora Royal School: Derrygonnelly Rd,Enniskillen County Fermanagh BT74 7HA 父ウィリアム、Sirの称号を授けられる |
1871 | 奨学金を得てダブリン トリニティ・カレッジに入学(1874年卒業) |
1874 | Berkeley
Gold Medalを獲得 10月、オックスフォード
モードリン・カレッジ(Magdalen College)に入学(1878年卒業) |
1875 | 北イタリアに旅行 |
1876 | 4月19日父Sir William Wilde死亡 |
1877 | ギリシャに旅行 |
1878 | 英詩『Ravenna』でNewdigate Prize受賞 |
1879 | ロンドンに転居。
友人の画家Frank Milesとともに13 Salisbury Street, NW8に住む 母もロンドンに移り、サロンを開いて文化人を集める |
1880 | 『Vera』を出版 Tite Street44番地(SW 3)Keats Houseに転居 |
1881 | 最初の詩集を出版 12月、ドイリー・カートの勧めによりアメリカ・カナダに講演旅行に出発 |
1882 | アメリカ・カナダに講演旅行 アメリカの有名な文化人Henry LongfellowやOliver Wendell Holmes、Walt Whitmanらと交流する |
1883 | Charles Street 9番地に転居 アイルランド講演旅行中に、コンスタンスと再会。 友人である女優のリリー・ラングとリーへの手紙にコンスタンスのことを"a beautiful girl…, a grave, slight violet eyed Artemis"と書いている |
1884 | 5月 Constance Lloyd と結婚。コンスタンスの父は法廷弁護士で、彼女が16歳のときに亡くなっていた。 |
1885 | Tite
Street 16番地(現在34番地)に転居、1895年までここに住む。 6月、長男Cyril生まれる |
1886 | Robert
Rossと出会う 11月、次男Vyvyan生まれる |
1887 | 1887〜89雑誌The
Woman’s Worldの編集長を勤める。(編集部:Limeburner
Lane, Ludgate Hill) Canterville Ghost、謎のないスフィンクス、アーサー・サヴィル卿の犯罪を発表 |
1888 | 童話集『幸福の王子(The Happy Prince and Other Tales)』出版 |
1889 | 論文『Pen, Pencil and Poison』『W.H.氏の肖像』発表 |
1890 | 『ドリアン・グレイの肖像(The picture of Dorian Gray)』発表、翌年出版 |
1891 | 7月、詩人Lionel Johnson の紹介でボジーと出会う(1月という説も) 論文『The Soul of Man under Socialism』発表 童話集『(The House Of Pomegranates )』出版 |
1892 | 2月20日『ウィンダミア夫人の扇(Lady Windermere's Fan)』初演@St James's Theatre 7月、サラ・ベルナール主演によるサロメ上演禁止 11月、カフェ・ロイヤルでのボジーとの会食中、クィーンズベリー卿と正式に対面 |
1893 | 『サロメ(Salome)』フランス語で出版 4月19日 『つまらぬ女(A Woman of No Importance)』 Haymarket Theatre初演 『ウィンダミア夫人の扇(Lady Windermere's Fan)』出版 ボジーとエジプトに旅行 |
1894 | 『サロメ(Salome)』英語で出版。ビアズリーの挿絵 8−9月Worthingに滞在、『まじめが肝心』を執筆 10月ボジーとブライトンへ 『つまらぬ女(A Woman of No Importance)』出版 |
1895 | 1月3日 『理想の夫(An Ideal Husband)』Haymarket Theatre初演 ボジーとアルジェリアに旅行し、アンドレ・ジッドに会う 2月14日『まじめが肝心』初演St James's Theatre 2月18日、クイーンズベリー卿がワイルドのクラブAlbemarle Club(13 Albemarle street,Mayfair)を訪れ中傷するメモを残す。 3月1日、クイーンズベリー卿を告発 4月、ワイルドスローン・ストリートのCadogan Hotelで逮捕 Bow Street Magistrates Courtに一時拘留、のちにホロウェイ監獄に移されるHolloway Prison 4月26日、中央刑事裁判所(Old Bailey)2回目の裁判 5月20日、3回目の裁判 5月27日懲役2年の宣告を受ける 最初の6ヶ月をWandsworthで、のち11月にReading Gaolに移送 妻コンスタンスは姓をHollandと変えふたりの息子を連れてスイスへ。 |
1896 | 2月3日 母Lady Jane Francesca Wilde死亡 |
1897 | 5月19日出所 フランスに渡り、『レディング牢獄の唄(The Ballad of Reading Gaol)』を書く 9月5日、ルーアンでボジーと再会 |
1898 | 『レディング牢獄の唄(The Ballad of Reading Gaol)』出版 妻コンスタンス死亡 |
1899 | 『理想の夫(The Importance of being Earnest)』出版 |
1900 | 11月30日、Hotel
d'Alsace(享年44歳) Hotel d'Alsace(現在のL'Hotel) 13 Rue des beaux arts, Paris |
1905 | ロバート・ロスにより『獄中記(Des Profoundis)』出版 |
1909 | Pere Lachaise墓地に改葬。墓のデザインはジャコブ・エプスタイン |
参考資料:『オスカー・ワイルドの生涯』平井博・著/松柏社
他
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