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ダブリンからオックスフォード、ロンドン、そして終焉の地パリ・・・ワイルド縁の地を訪ねてみた
ワイルドが生まれた家は、アイルランドの首都ダブリンの中心部、トリニティ・カレッジの裏手にある。生後1年で、ここから数十メートル離れたすぐ近くのメリオン・スクエアに引っ越すことになる。
21 Westland Row, Dublin
アイルランド国立美術館から通りをはさんだメリオン・スクエア(Merrion Square)を囲む瀟洒な一角に、ワイルドが少年時代を過ごした家があった。 現在は「ワイルド・ハウス」としてAmerican Collegeが入っている。
1 Merrion Square North
アイルランドで最も歴史と権威ある大学、ダブリンのトリニティ・カレッジ。ワイルドは1871〜1784年の間、ここで学んでいた。彼の家はここから徒歩でほんの数分。
Fellows Square, Trinity College, The University of Dublin, Dublin 2
www.tcd.ie
イングランドに渡ったワイルドは、1874〜1878年までオックスフォード モードリン・カレッジ(Magdalen College)に学ぶ。ワイルドがいた部屋は今も残っていて、中に入ることはできなかったが(1990年当時)表示板が出ていた。 建物の裏手には鹿も飼われていて、青々とした芝生に寝転んでしばし時を忘れた。
コンスタンスと結婚した翌年から、逮捕されるまで住んでいた家。 このあたり、チェルシー地区は著名人が好んで暮らした閑静な地域で、ジョージ・エリオットやバートランド・ラッセル、スウィンバーンやD.G.ロセッティ、A.A.ミルンなど多くのブルー・プラークがみられた。 |
『理想の夫(An Ideal Husband)』や、『つまらぬ女(A Woman of No Importance)』が初演された劇場。 ピカデリー・サーカスから歩いて数分。
ボジーと泊まったこともあるホテル。サヴォイはロンドンでもトップクラスの高級ホテル。
ワイルドはよくここで好んで食事をとっていた。ロンドンの目抜き通りリージェント・ストリートにあるので良く目立つ。
88 Regent street, London
ワイルドが逮捕されたホテル。スローン・スクエア界隈の賑わいから少し離れた、閑静なエリアにあるホテル。ここに滞在していたボジーを訪ねていたところを逮捕された。(118号室)
75 Sloane Street. London SW1X 9SG
www.cadogan.com
1900年11月30日にワイルドが息を引き取った「オテル・ダルザス(Hotel d'Alsace)」の現在の名前は「ロテル(L'Hotel)」。 入り口横にワイルド縁のホテルであることを示すプレートが掲げてある。 国を追われ逃げるようにしてやってきたパリで、彼は何を想って過ごしたのだろうか。
当時は安宿だったそうだが、現在は瀟洒な趣のホテル。 ワイルドが逗留していた部屋も残されている。
ホテル入り口脇に掲げてあるプレート L'Hotel ... 13 Rue de Beaux-Arts, 6e |
オスカー・ワイルドの墓は、おそらくペール・ラシェーズで最も目立つ墓のひとつだろう。 Jacob Epsteinによるエジプト風の彫像は、どことなく彼自身の面影があるような。 台座に無数のキスマーク(口紅の跡)がついている。
ワイルドと親しかったフランスの女優サラ・ベルナール(『サロメ』を演じた)の墓も、同じ墓地内にある。
オスカー・ワイルドの墓 |
サラ・ベルナールの墓 |
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