タイトル*ほ
監督・脚本:リン・ラムジー ・・・グラスゴー出身
音楽:レイチェル・ポートマン
1970年代半ばのグラスゴー。何週間も続く清掃夫たちのストライキにより街にはゴミ袋があふれ、不潔な環境下でネズミが異様に繁殖していた。荒れ果てた貧しい集合住宅に住む感じやすい年頃のジェームズは、一緒に水路(Canal)にいた少年ライアンを事故で死なせてしまい、暗い秘密を抱えていたこともあってか少し家族から距離を置くようになった。
そんな時に出会ったふたつ年上の少女マーガレット・アン。不良グループの言いなりになっていた彼女と、ひそかな罪悪感に苦しむジェームズ−−−孤独なふたりは次第に心を通わせるように。同じくみそっかすで苛められがちな動物好きのケニーとも仲良くなっていった。
ある日ジェームズは、行き先を告げずにこっそり郊外行きのバスに乗ろうとする姉を見つけ、後を付ける。姉は見失ってしまったが、彼がバスの終点で見つけたのは建設中の家と、一面の黄金に輝く麦畑。腐臭漂う陰気な現実から離れて、しばしわくわくするような夢の世界に戯れるジェームズだったが・・・。多感な年頃の少年少女と、彼らを取巻く大人たちを、独特の瑞々しいタッチで描いた秀作。
グラスゴーでは清掃夫たちのストライキが9週間も続き、街が黒いゴミ袋であふれていくさまは盛んにTVでも報道されていた。しまいには軍(迷彩服の軍人たち)が出動するという非常事態に。ゴミのせいでネズミが大発生し、子供たちの髪の毛にはシラミがたかるというひどいありさま。
物語の中で印象的な役割を果たす水路は、この作品のために作られたものだとか。5,000トンの土が掘られ、約100万リットルの水が流し込まれた。
ジェイムズが乗り込んだ郊外行きのダブル・デッカー(二階建てバス)は、一階がオレンジで二階が緑。子供がよくするように、ジェイムズも二階の一番前の席を陣取って景色に見入る。行き先表示は"Balmore Road"。
普段は子供たちを可愛がっているお父さんも、ジェイムズに買ってきてやったサッカー・シューズをいらないと拒絶された時は激昂した。サッカー(football)を愛する国民ならでは、か。
ケニーがポールにつかまって、くるくる回りながらマーガレット・アンのことを「Poor Cow(可愛そうな女)」と言う場面がある。ちょっとケン・ローチの『夜空に星のあるように』 Poor Cow (1967) を連想させる台詞ではないか?
スコットランド・グラスゴー
『エマ』で米アカデミー作曲賞を受賞したレイチェル・ポートマンの叙情あふれるスコアの他、トム・ジョーンズの「何かいいコトないか?小猫ちゃん(What's New? Pussy Cat)」や、フランク・シナトラ、ナンシー・シナトラなど、1970年代を感じさせる挿入歌も。*ジェームズの妹がトム・ジョーンズのファンであるという設定。
2000年英アカデミー賞(BAFTA)最優秀新人賞
1999年 ブリティッシュ・インディペンデント・アワード 最優秀監督賞
1999年 ロンドン・フィルム・フェスティバル 最優秀新人賞
1999年 エディンバラ国際映画祭 最優秀新人監督賞
1999年 シカゴ国際映画祭 最優秀監督賞
1999年 フランダース国際映画祭 音楽賞
1999年 カンヌ国際映画祭 ある視点部門出品
William Eadie .... James Gillespie(12歳)
Tommy Flanagan .... George Gillespie(Jamesの父)
Mandy Matthews .... Anne Gillespie(Jamesの母)
Michelle Stewart .... Ellen (Jamesの姉)
Lynne Ramsay Jr. .... Anne Marie (Jamesの妹)
Leanne Mullen .... Margaret Anne (Jamesの女友達・近眼・14歳)
John Miller .... Kenny Fowler (Jamesの友・動物好き)
Anne McLean .... Mrs Fowler (Kennyの母)
Craig Bonar .... Matt Monroe(不良グループのリーダー)
Thomas McTaggart .... Ryan Quinn(溺死した少年)
Jackie Quinn .... Mrs Quinn (ライアンの母)トミー・フラナガンは、ロバート・カーライル率いる劇団"レイン・ドッグ"で活躍し、『グラディエイター』『プランケット&マクレーン』などで印象的な役柄を演じた実力派。マンディ・マシューズもレイン・ドッグのメンバー。ちなみにロバート・カーライルといえば、この『ボクと空と麦畑』のメイクアップを担当したのは、彼の妻アナスタシア・シャーリー。
(1999年イギリス93分)
監督: ダミアン・オドネル・・・アイルランド出身
原作・脚本: アユーブ・カーン=ディン(原作'east is east')・・・彼自身もソールフォード出身で、父はパキスタン人、母はイギリス人。
1971年、マンチェスター近郊の小さな街ソルフォード。パパのジョージは誇り高きパキスタン人。イギリス人のママと結婚して、この街で7人の子供に恵まれフィッシュ&チップス店を経営している。
パパは7人の子供たちをパキスタンの伝統にのっとった立派なイスラム教徒に育てあげたいと願っていたが、マンチェスター生まれの子供たちはそんな思惑どこ吹く風といった現代っ子。イスラム式に見合い結婚させようとするパパに反発し、戒律で禁じられている(豚肉の)ソーセージを食べてみたり、サリーのかわりにベルボトムジーンズをはいてみたり・・・カルチャー・ギャップ、ジェネレーション・ギャップを通して、生き生きとした家族を描き出した話題作。
ヴィクトリア時代に活躍した詩人Rudyard Kipling(1865-1936)のバラッドの有名な一節から引用されている。
THE BALLAD OF EAST AND WEST
Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall
meet,
Till Earth and Sky stand presently at God's great Judgment
Seat;
But there is neither East nor West, Border, nor Breed, nor Birth,
When two strong men stand face to face,
tho' they come from the ends of the earth!
ソルフォード…マンチェスター近郊の、典型的な労働者階級の港町。ちなみに俳優のクリストファー・エクルストンもここの出身。
エクルズ(ランカシャー)…家を出た長男のナジルが居を構えていた街。ドライフルーツをパイ生地でくるんだお菓子「エクルズ」はこの街にちなんで名づけられた。>>Recipe
ブラッドフォード…イングランド北部、西ヨークシャーにあるブラッドフォードには、大きなパキスタン人コミュニティがある。この作品でも地名表示版にに‘Welcome to Bradistan’などという落書きがあったり、市内の道路標識にウルドゥ語が見られたりする。街は民族衣装に身を包んだパキスタン人ばかり。
*映画『Go! Go! L.A.』L.A. Without a Map (1998)も物語はブラッドフォードから始まるが、パキスタン人街の様子はまったく出てこない。
豚を忌む…イスラム教徒は戒律に従って、豚は不浄な食べ物として口にしないが、子供たちは豚肉でできたソーセージやベーコンを嬉々として食べている。お父さんが「豚(Pig)」と罵られていつになく激昂したのも、このイスラム的思想のため。
割礼…イスラムでは(ユダヤ教もだが)習慣として幼いうちに男性器の包皮の一部を切り取っておく。
酒を禁じる…イスラムでは飲酒が禁じられているため、アブドゥルは職場の人々が同僚のスタッグ・ナイト(花婿が結婚前の最後の夜に仲間と飲んで騒ぐこと)にも参加しない。 のちに彼自身が無理矢理結婚させられそうになった時、戒律を破ってひとりパブに出かけて酒を飲むことに。
妻は4人まで…ジョージもパキスタン-インド国境付近に第一夫人を残して渡英したようだが、複数の妻を持つなど受け入れ難い英国人のママは、第一夫人をイギリスに呼び寄せたら別れてやると脅す。
男同士でもキス…イスラムの挨拶の習慣として、男同士でも頬にキスする。それを見たサジが「男同士で!」とびっくり。
「パキ」とは、パキスタン人を指す蔑称。ちょうど日本人を「ジャップ」と呼ぶようなものか。それなのに、カーン家の子供たちは"Fu*kin' Pakiとは結婚しない"と言うし、ブラッドフォードからシャー一家が見合いに来た時、サジは"ママ、パキが来たよ"などとすっとんきょうな声を上げる。
パパとママはフィッシュ&チップス店を経営しているので、お店の裏で、きょうだいみんなで魚をおろす手伝い。パキスタン人経営なのに"George's English Chippy"という店名が笑える。
ステラの親友でちょっと太目のペギーは、一週間F&Cをただで食べさせてあげるといわれ、目を輝かせる。
ラジオからも、パキスタン軍の戦闘機がインド軍に撃墜されたというニュースが流れているが、この映画の舞台となったのは、ちょうど第三次印パ戦争の頃。(この後東パキスタンがバングラディシュとして独立)
パパは、サジの割礼手術をしてくれた先生まで「あいつはインド人に違いない」と目の敵にする。
パキスタンは1947年に英領インドから分離独立。映画『ガンジー』でも、この時のいざこざが描かれている。
ムーアハウス氏の家には、移民を本国に送還する政策を訴えるパウエル議員のポスターが貼ってある。イノック・パウエル(Enock Powell)は、移民排斥を唱えた実在の保守党下院議員。
なぜか部屋に「Ireland」と大きくプリントされたティータオルが飾ってある。トニーの部屋には映画『ダーリング』のポスターが。
屋内にトイレがないらしく、みな各部屋のバケツで用を足している。
パキスタン移民二世の子供たちは英語しかしゃべれない。 ブラッドフォードの移民街に暮らすパキスタン人たちは、母国の言葉ウルドゥー語で会話している。
ナジルが出ていってしまっても8人家族という大所帯なのに、ダブルベッド3つ、シングルベッド1つをシェアして小さな家で肩寄せあって暮らすカーン一家。 訪ねてきた裕福なシャー氏の妻はしきりに小さい家だと気にしている。
「お茶でもどう?」「カップに半分な」・・・ママとパパはいつもこんなやりとりをして紅茶を飲んでいる。
原作となった戯曲はパキスタン人の父、イギリス人の母を持ったアユーブが書いた自伝的な作品で、バーミンガムのレパートリー劇場で初演され、ロンドンのロイヤル・コート劇場で大好評を博し、最優秀ウェストエンド戯曲賞を受賞した。母親役のリンダ・バセットやアブドゥル役のラージ・ジェイムズ、タリク役のジミ。ミストリー、マニーア役のエミル・マーワ、サリーム役のクリス・ビソン、アニーおばさん役のレズリー・ニコルは、舞台版でも同役を演じている。
原作戯曲『ぼくの国、パパの国』白水社
『ガンジー』Gandhi(1982):インド・パキスタン戦争の遠因になった、イギリスからインドとパキスタンが独立した時の様子も描かれている。(独立の際にヒンドゥー教徒はインド、イスラム教徒はパキスタンと分かれた)
『マイ・ビューティフル・ランドレット』My beautiful Launderette(1985):サウス・ロンドンのパキスタン・コミュニティと、ゲイのパキスタン人(と英国人)の描写が。
*脚本のアユーブ・カーン=ディンもランドリーの客として端役で出演している。『相続王座決定戦』Splitting Heirs (1993):ブラッドフォードのロケ地として使われたロンドン郊外のインド系住民のコミュニティがあるSouthallが登場。
Openshaw, Manchester, England
冒頭のキリストのパレードは"Monmouth Street"近くを通る。Southall, Middlesex, England(Bradford市街として)
Blue Mink「Banner Man」などの70年代UKポップ、エスニックテイストあふれる音楽と挿入歌も多彩。オリジナル・スコアはデボラ・モリソン。エンディングはSupergrass「Moving」。
2000年英アカデミー賞:最優秀英国映画賞受賞、他5部門ノミネート
2000年カンヌ国際映画祭:第一回メディア賞受賞(ダミアン・オドネル)
イブニング・スタンダード紙イギリス映画賞:最優秀作品賞受賞
ロンドン映画批評家賞:最優秀英国映画賞、最優秀制作者賞、最優秀脚本賞受賞
英国インディペンデント映画賞:最優秀オリジナル脚本賞受賞
Om Puri .... George (Ghengis) Khan (パキスタン移民のパパ)
Linda Bassett .... Ella (イギリス人のママ・ランカシャー出身)
Jordan Routledge .... Sajid Khan (末っ子・フードをかぶっている)
Archie Panjabi .... Meenah Khan (ひとり娘・サッカーやベルボトムが大好き)
Emil Marwa .... Maneer Khan (四男)
Chris Bisson .... Saleem Khan (五男・こっそりアートスクールに通う)
Jimi Mistry .... Tariq Khan (三男・モテモテの色男)
Raji James .... Abdul Khan (次男)
Ian Aspinall .... Nazir Khan (長男)
Lesley Nicol .... Annie叔母さん (ママの姉)Gary Damer .... Earnest Moorhouse (サジの親友)
John Bardon .... Mr Moorhouse (アーネストとステラの祖父)
Emma Rydal .... Stella Moorhouse(アーネストの姉・タリクが大好き)
Ruth Jones .... Peggy (ステラの親友)
Kriss Dosanjh .... Popa KhalidMadhav Sharma .... Mr Shah(ブラッドフォードの裕福な精肉店主)
Leena Dhingra .... Mrs Shah
Jimmi Harkishin .... Iyaaz Ali Khan (ジョージの甥・映画館支配人)
Rosalind March .... Helen Karim (パキスタン人と結婚した英国人女性)
Gary Lewis .... Mark
Thierry Harcourt .... Etienne Francois (ナジルの恋人・共同経営者)長女ミーナ役のアーチー・パンジャビは、ローワン・アトキンソンのシットコム『シン・ブルー・ライン』に登場する美人婦警さんの妹。
(1999年 イギリス 96分)
書籍:
『ぼくの国、パパの国』アユーブ カーン=ディン (著), 鈴木 小百合 (翻訳)
_East Is East : A Screenplay_ by Ayub Khan-Din
ScreenplayCD:オリジナル・サウンドトラック
『ぼくの国、パパの国』 (発売元ランブリングローズ/RBC5-1003)
監督:Anand Tucker
脚本:Frank Cottrell Boyce・・・『ウェルカム・トゥ・サラエボ』『バタフライ・キス』
撮影:David Johnson・・・『理想の結婚』『マーサ・ミーツ・ボーイズ』
美術:Alice Normington
衣装:Sandy Powell・・・『鳩の翼』『ベルベット・ゴールドマイン』
音楽:Barrington Pheloung
原作:_A Genius in the Family_ by Hilary du Pre/Piers du Pre
(邦訳『風のジャクリーヌ』高月園子訳、ショパン社刊)コピー:「妹はチェロの天才だった。でも人生の天才ではなかったのです。」
多発性硬化症という難病のため絶頂期の28歳で引退し42歳で夭逝した天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ。イギリス音楽史上最高のチェリストと崇められたデュ・プレの私生活を、その姉と弟が赤裸々に描き出した"A Genius in the Family"を原作に、ジャクリーヌとその姉のヒラリーの関係にスポットを当てて、姉妹の愛と相克を描く。
音楽一家に生まれた姉妹ヒラリーとジャッキー。優等生の姉に追いつこうと必死で練習に励むジャッキーは、いつしか非凡な才能を見せはじめ、天才少女を抱えた家族の生活は一変してしまう。妹の圧倒的な才能の前に、ヒラリーは音楽の道を断念し結婚して平凡な主婦になることを選ぶ。一方ジャッキーは海外公演に飛び回り、天才ピアニストのダニエル・バレンボイムと結婚する。彼女はプロの音楽家として華々しい生活を送る一方、「チェロが弾けなくても私を愛してくれる?」という疑問が大きくなるにつれ、情緒不安定になっていく。天才チェリストジャッキーも、人生においては傷つきやすく不器用な女の子でしかなかった。壊れそうな妹の心を救うために、ヒラリーは自分の夫と寝たいという彼女の願いを承諾するのだが・・・。
「デュ・プレ」という姓はジャージー島に特有の名字(英語で"meadow"の意味)で、その歴史は1480年まで溯れるという古いもの。
*ジャージー島について詳しく知るなら:
The States of Jersey
The official state of Jersey tourism父はジャージー島のロイズ銀行をはじめとしてさまざまな職に就いたが、ジャッキーが生まれた時は軍役に就いていて、オックスフォード大学ウースターコレッジ上級教官室勤めだった。
母のアイリスは1914年デヴォンのプリマス生まれ。17歳で王立音楽院免状(LRAM)を得るなど若い頃から活躍したピアニストだった。ヒラリーとジャッキー姉妹が英才教育を施されたのは、この母の影響が強い。映画には、クリスマスに「Holiday Song」と題して手書きのイラスト付き楽譜を姉妹にプレゼントしたりする場面や、母のピアノに合わせて全身でリズムを取る姉妹の様子が描かれている。また、アイリスはBBCの依頼で子供たちの指揮(演目はハイドン「おもちゃの交響曲」)をするために呼ばれ、ヒラリーもフルートを演奏するように同行する。
ヒラリーは1942年4月25日生まれ。ジャッキーは1945年1月26日生まれ。末子のピアーズは1948年生まれ。
当時一家が住んでいたSurrey州Purleyで行われた、1953年6月18日のクルスドン&パーリー・フェスティバルのエピソードが登場する。ヒラリー11歳、ジャッキー8歳の時のこと。映画ではヒラリーはフルート部門に出場したが、実際にはピアノだったらしい。このコンテストで、ヒラリーは観客の熱狂的な拍手によって妹の実力をまざまざと見せ付けられることになる。
映画ではウィグモア・ホールでのデビュー・リサイタルに際し、匿名の篤志家からジャッキーに贈られたチェロ。(実際は最初にジャッキーが贈られたのは他のストラディバリウスで、ダヴィドフ・ストラディバリウスを手にしたのは1964年の冬のことだったという。)現在、この名器は世界的チェリストのヨー・ヨー・マが演奏している。
ジャッキーは、身体を大きく揺らして全身で演奏するのが特徴だった。8歳で出場したパーリーの音楽コンテストでもすでに体を動かしすぎるというコメントをされていた。
ヒラリーは王立音楽院でフルートを学ぶが、型にはめようとする教育方針や、何かと妹と比較されることで、だんだん自信を無くしていく。映画ではそんな時にキーファと運命的な出会いをする。彼は王立音楽院で最初はチェリストを目指していたが後に指揮者に転向する。キーファの父Gerald Raphael Finzi(1901-1956) は作曲家で、キーファは父の後を継ぎニューベリー弦楽合奏団の指揮を執るようになる。
WebSite:The Royal Academy of Music
Marylebone Road, London NW1 5HT
ヒラリーは17歳の時に当時26歳のキーファ(クリストファー)・フィンジに出会う。 Swingin' Londonと呼ばれる性に対する考え方も比較的大らかな60年代後半にはまだ早かったのか、キーファが繁華街SOHOで上映中の『突然炎のごとく』を観にヒラリーを連れて行くと知った父親は、「そんないかがわしい場所に・・・」と怒る。ふたりは1961年9月にMarylebone Registory Officeでささやかだがみなに祝福される結婚をし、キーファの実家のあるアシュマンズワースへ移住し、養鶏業を中心にしたカントリーライフを営む。
*『突然炎のごとく』Jules et Jim:1961年フランソワ・トリュフォー作品。主演:ジャンヌ・モロー
言葉も通じない外国で家族から遠く離れ、ジャッキーは次第に孤独感を募らせてゆく。ベルリンのパーティーでは "Ich bin eine Hunberger("私はハンバーガーです"?)"などといいかげんなドイツ語を口にしてみたり。マドリッドで巨匠カザルスに食事に誘われた時も、伝言をしにきた相手にとんでもないことを言って煙に巻く。自分を家族から引き離したチェロが憎くて仕方がなかったが、ある日そのチェロがきっかけでダニー(ダニエル・バレンボイム)に巡り合った時に、彼女は初めてチェロに感謝するようになる。
ダニーはユダヤ教徒だったので、ジャッキーも結婚にあたってユダヤ教に改宗する。家族にとってかなりショックな出来事だったのではないだろうか。ジャッキーの改宗に対する抗議の手紙が、家族に宛てて山のように届いたらしい。ダニーとの結婚式は、エルサレムでユダヤ教の儀式にのっとって行われ、若き天才音楽家同志の結婚としてTVで報道された。ダニーと結婚したことにより、ジャッキーは彼の周辺のユダヤ人音楽家たちとの交友関係を深める。ジャッキーの葬儀はユダヤ教の儀式に乗っ取り、ゴールダース・グリーンのシナゴーグで行われたとか。
*Golders Green:地下鉄Northan Lineの、Hampstead駅よりひとつ北にある。治安がいいことから裕福なユダヤ人が多く住むことでも知られている。
ヒラリーが入院中のジャッキーを見舞いに来た時、病室にいた女性は世界的バレリーナのマーゴ・フォンテーン。彼女は、Rutland Gardens(地下鉄Knightsbridge駅近く)にある、彼女の屋敷をジャッキーの療養のために提供すると申し出ていた。マーゴ自身の夫も車椅子で生活していたため、使いやすいように改造してあったことも大きな理由らしい。この屋敷のあったRutland Gardensは、Kenginton Goreからそれて静かな袋小路に入ったところにある。
パリ管弦楽団での仕事が忙しく、なかなかロンドンに戻れないダニーは、電話でジャッキーと連絡を取っていた。ダニーの電話からかすかに聞こえてきた子供の声を聞きつけ、ジャッキーが苦悩する場面がある。この時ダニーはロシア人ピアニストのヘレナ・バクキレフと同棲しており、二人の間にはすでに子供も生まれていたらしい。ダニーは彼女とパリで5年間同棲し、二人の子供をもうけた。
ジャッキーが活躍していたのは、"スウィンギング・ロンドン"と呼ばれた1960年代。バレンボイムと出会ったホームぺーティーでも、ミニスカートにブーツといういでたちで足をバッと開いてチェロを演奏したりしている。その時バレンボイムが着ていたスーツも、細身のモッズっぽいスタイルのもの。
時代を反映してか、バレンボイムらと即興でKINKSの「YOU REALLY GOT ME」をセッションしたりする場面も。
ダブルデッカーの車体に「BOAC」の広告が見えるが、これは現在の英国航空(BA)の前身となった航空会社BOAC(British Overseas Airwbas Corporation)。1974年4月にBOACとBEAが合併し、British Airwaysとなった。ビートルズの"Back in the USSR"の冒頭にも、この航空会社の名前が出て来るのでおなじみではないだろうか。こんなバスの車体広告ひとつとっても、ちゃんと時代考証がされている。
少女時代の可憐な編込ニットの帽子にフェアアイルのセーター、ミニスカートなど60年代の風俗を活写した鮮やかな服、コンサートで着用する華やかなドレス、ヒラリーの家に行った時ジャッキーが身に付けていたファー付きのコート、シルクの東洋風のガウンなど、凝った衣装設定からも目が離せない。
手足が痺れ再発と寛解を繰り返す難病で、原因は未だ解明されていない。日本ではまれだが、欧米では少なくない病気で、女性に多いとされている。
多発性硬化症を扱った作品:
『Go Now』Go Now(1996)
『デュエット・フォー・ワン』Duet for One(1986)MSについての詳しい情報は・・・>国際MS支援基金日本支部_MSキャビン
英国の至宝、クラッシック界の聖女というイメージが強かったジャクリーヌの、赤裸々でスキャンダラス側面が描かれているということで、この作品が公開された時の抗議の声は大変なものだった。バイオリニストのメニューイン、ジャッキーが師事したチェリストのロストロポーヴィッチをはじめとする楽壇の大御所たち6人による抗議の手紙が、The Times紙に掲載されたとか。
参考資料:『風のジャクリーヌ』高月園子訳、ショパン社刊
1945年1月26日オックスフォードに生まれる。5歳からチェロを始め、ギルドホール音楽院で学ぶ。1961年に(16歳)ロンドンのThe Wigmore Hallでデビュー。1965年のBBC交響楽団の米国ツアーでエルガーのチェロ協奏曲を演奏し、国際的な評価が確立する。パブロ・カザルス、ポール・トルトゥリエ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチなどに師事する。
1966年のクリスマスにピアニストのダニエル・バレンボイムと出会い、翌1967年6月に結婚。1971年に発症した多発性硬化症のため1973年に引退し、晩年はマンチェスターで後進の指導にあたった。1987年10月42歳で死去。
1942年アルゼンチンのブエノス・アイレスに生まれる。ピアニスト・指揮者。ローマのSanta Cecilia Academyで教育を受け、Nadia Boulanger等に師事する。1953年にthe Israel Philharmonic Orchestraとの競演でデビューを飾り、1955年にthe English Chamber Orchestraでピアニスト・指揮者としての名声を高め、イギリスデビュー。1960年には指揮者として活躍するようになる。1975-1987にはパリ管弦楽団の総芸術監督に就任。1991年にはシカゴ交響楽団の音楽監督に就任。現在も指揮者として世界を舞台に活動中。
1919年サリー州Reigateに生まれる。1934年にthe Sadler's Wells Balletに加わり(後のロイヤル・バレエ)、"The Haunted Ballroom"でえソロ・デビュー。20世紀の最も偉大なバレリーナと絶賛される。1960年代にはヌレエフとパートナーを組みキャリアを重ねる。1956年にデイムの称号を与えられる。
エルガーチェロ協奏曲 ホ短調、J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番ト長調」より前奏曲など、さまざまなチェロの名曲が楽しめる。ジャッキーの絶世期の演奏場面、自分が録音したレコードに耳を傾ける場面は、ジェクリーヌ・デュ・プレ本人の演奏によるもの。その他はチェリストCaroline Daleの演奏によるもの。
エルガーのチェロ協奏曲は、ジャッキーの十八番というだけあって、コンサート以外にもさまざまな場面に使われている。キーファーとヒラリーがベッドにいる気配を察知したジャッキーが、一心不乱にエルガーを弾きはじめる姿が狂おしい。
Elgerについて知るなら・・・>THE ELGAR SOCIETY
St George's Hall, Liverpool(コンサートの場面)
1842年から1856年の間に建造されたホール。カテドラルはヨーロッパで最も美しい新古典主義の建物のひとつとして知られており、現在もコンサートや会議などに使用されている。
WebSite>St George's HallFormby Park, Liverpool(浜辺の場面)
George's Dock Way, Strand, London(モスクワの場面)
Wallasey Town Hall, Liverpool
Rodney Street, Liverpool
(ジョージアン朝の建築物が並んでいる通り)
1999年米国アカデミー賞:主演女優賞ノミネート、助演女優賞ノミネート
1999年英国アカデミー賞:最優秀イギリス作品賞・音楽賞・主演女優賞ほかノミネート
Emily Watson .... Jacqueline Du Pre
Rachel Griffiths .... Hilary Du Pre (Jacquelineの姉)
James Frain .... Daniel Barenboim (ピアニスト/Jacquelineの夫)
David Morrissey .... Kiffer Finzi (Hilaryの夫)
Charles Dance .... Derek Du Pre (JacquelineとHilaryの父)
Celia Imrie .... Iris Du Pre (JacquelineとHilaryの母)
Rupert Penry-Jones .... Piers Du Pre (JacquelineとHilaryの弟)
Bill Paterson .... William Patterson(チェロの師)
Auriol Evans .... 少女時代のJackie
Keeley Flanders .... 少女時代のHilary
Nyree Dawn Porter .... Dame Margot Fonteyn (バレリーナ)
Official WebSite
October films/東宝書籍『風のジャクリーヌ』
by Hilary Du Pre, Hilary Dupre, Piers Du Pre 高月園子訳、ショパン社刊>>原書:Hilary and Jackie
by Hilary Du Pre, Hilary Dupre, Piers Du Pre
(1998年イギリス121分)
制作・監督・脚本:ケン・ラッセル
原作:Sandy Wilson (戯曲) 初演は1953年
イングランド南部の港町ポーツマスにある歴史ある劇場Thatre Royal。ある土曜の午後、マチネーの準備で慌ただしい座長のもとに主演女優のリタが怪我をして舞台に立てないというニュースが。急遽、舞台助手の少女ポリーを代役にしたが、ハリウッドの大物監督デ・スリルが客席にいることに気付いた劇団のメンバーは、我こそは監督の目に留まって映画デビューを!と色めきたつ。一方ポリーは初めての舞台に戸惑いながらも、主演俳優トニーへの恋心を膨らませて行く。ところがトニーは舞台袖でダルシーといいムード。舞台は?そしてポリーの恋の行方は・・・?
原作となった舞台「ボーイフレンド」は、ロンドンのウェストエンドで5年に渡ってロングランされたヒット・ミュージカル。
ミュージカル「ボーイフレンド」:
1920年代のリヴィエラ、マダム・デュボネの花嫁学校で学ぶ貴族や資産家の令嬢たちは、仮装舞踏会の準備ではしゃいでいる。資産家のひとり娘ポリーはエスコートしてくれるボーイフレンドがいると偽っていたが、舞踏会の衣装を届けてくれたメッセンジャー・ボーイのトニーと恋におちる。海岸でデートしているところに通りがかった資産家のブロックハースト夫妻の姿を見て、慌てて逃げ出すトニー。彼は夫妻の家に入った泥棒だという噂を聞き動揺するポリー。はたしてその真相は・・・?
1949年ロンドン生まれ。美容助手として働いていたところをスカウトされ、トップ・モデルに。小枝(Twig)のように細いことから「Twiggy」の愛称で親しまれた。1960年代ファッションを象徴するような存在。"ミニスカートの女王"と呼ばれ、来日時に大ブームを巻き起こした。1969年にモデルを引退。
1940年ロンドン生まれ。11歳でロンドン王立バレエ学校に入学を許可され、16歳の時にロイヤル・オペラ・ハウスで舞台デビュー。18歳でロイヤル・バレエに入団し、20歳にして「白鳥の湖」の王子役に抜擢。マーゴ・フォンティーンなどをを相手に称賛を浴びた。26歳でロイヤル・バレエを退団し、以後俳優の道へ。『ディーリアス夏の歌』、『恋する女たち』、『恋人たちの曲・悲愴』(1971)、『白蛇伝説』、『レインボウ』、ケン・ラッセル作品に出演。1996年にCBE勲章を受ける。1998年病没。
The Boy Friend
Perfect Young Ladies
I could be happy with you
Fancy Forgetting
Sur Le Plage
You are my lucky star
It's never too late to fall in love
Won't you charleston with me?
The You-don't-want-to-play-with-me Blues
A Room in Bloomsbury
It's Nicer in Nice
All I do is Dream of you
Safety in numbers
Poor little Pierrette
The Riviera and the Boy friend (Finale)「A Room in Bloomsbury」は、ポリーとトミーがささやかな結婚生活を夢見る歌。Bloomsburyは大英博物館やロンドン大学にも程近い文教地区。
Theatre Royal, Portsmouth, Hampshire
Borehamwood, Hertfordshire
1972年ゴールデン・グローブ賞:Musical/Comedy部門新人賞受賞(Twiggy)、作品賞ノミネート
1972年米アカデミー賞:音楽賞ノミネート(Peter Maxwell Davies/Peter Greenwell)
1973年英アカデミー賞(BAFTA):助演男優賞ノミネート(Max Adrian)
Twiggy Lawson .... Polly Browne (舞台助手)
Christopher Gable .... Tony Brockhurst (主演俳優)
Max Adrian .... Max (座長)
Bryan Pringle .... Percy
Murray Melvin .... Alphonse
Moyra Fraser .... Madame Dubonnet
Georgina Hale .... Fay
Sally Bryant .... Nancy
Vladek Sheybal .... De Thrill (ハリウッドの映画監督)
Tommy Tune .... Tommy (ダンスの名手)
Brian Murphy .... Peter
Graham Armitage .... Michael
Antonia Ellis .... Maisie (野心満々の女優)
Caryl Little .... Dulsie
Anne Jameson .... Mrs Peter
Catherine Wilmer .... Lady Brookhurst
Barbara Windsor .... Hortense
Glenda Jackson .... Rita(怪我をした主演女優)デ・スリルのモデルは、スペクタクル映画の巨匠セシル・B・デミルとか。
輸入版VHS(字幕なし)
(1971年 イギリス 109分)
Copyright (c)1998
Cheeky All Rights Reserved
当サイトに掲載されている情報・記事・画像など、全ての内容の無断転載を禁止します。
引用される際は、必ず出典として当サイト名とURLを明示してください。