ブルームズベリー・グループ (Bloomsbury Group)


ブルームズベリー・グループとは

ブルームズベリー・グループのはじまり
ケンブリッジ使徒会(The Apostles)とブルームズベリーグループ
良心的兵役拒否

ブルームズベリー・グループの人々とその周辺

ヴァージニア・ウルフ
ヴァネッサ・ベル
ダンカン・グラント
E.M.フォースター
リットン・ストレイチー
ケインズ
バートランド・ラッセル

Ladyオットリーン・モレル

ブルームズベリー・グループの人々を描いた映画

参考資料とリンク


ブルームズベリー・グループとは

1906年から30年頃に活躍した知識人や芸術家の集まりのこと。 彼らの多くは豊かな教養を備えたアッパーミドルクラスの出身で、19世紀の古い道徳観念を批判する一方で、知性と美に満ちた20世紀の自由な文化を開拓しようとした。 文芸においてはヴァージニア・ウルフやE.M.フォースターら、美術の分野においてはロジャー・フライとクライブ・ベルが企画した「ポスト印象派展」、オメガ・ワークショップの装飾芸術などが挙げられる。

バージニア・ウルフ(作家)、E・M・フォースター(作家)、ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)、リットン・ストレーチー(批評家・伝記作家)、ロジャー・フライ(美術批評家)、クライブ・ベル(美術批評家)、ダンカン・グラント(画家)、ヴァネッサ・ベル(画家)、レナード・ウルフ(作家・出版者)

先輩格として、哲学者バートランド・ラッセル、G・E・ムーア、政治学者G・L・ディキンソンも広義には含まれる

ブルームズベリー・グループのはじまり

著名な文芸批評家レズリー・スティーブンの4人の子供、長女ヴァネッサ(後のヴァネッサ・ベル)、長男トゥービー(Thoby)、次女ヴァージニア(後のヴァージニア・ウルフ)、末弟エイドリアンは、父レズリーの死をきっかけにロンドンの文教地区ブルームズベリーのゴードン・スクウェア46番地にある家に転居。 ここにThoby(1906年に夭折)のケンブリッジ時代の友人たちが集まるようになり、毎週木曜の夜に開かれたサロンがブルームズベリー・グループのはじまりとなった。

 

ケンブリッジ使徒会(The Apostles)とブルームズベリーグループ

ゴードン・スクウェアの家に集まってきたのは主にThobyのケンブリッジ大学時代の友人が中心だったが、その中にはシークレット・ソサエティとして知られる「ケンブリッジ使徒会(The Apostles)」のメンバーが少なくなかった。 そもそも、リットン・ストレイチーと彼の友人レナード・ウルフが使徒会の中に作った小グループが発展して、ブルームズベリーグループへとつながって行ったのだ。このグループにはロジャー・フライやデズモンド・マッカーシー、ケインズらがいた。

ケンブリッジ使徒会は、1820年の創立以来詩人のテニソンや哲学者バートランド・ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、経済学者ケインズ、作家E.M.フォースターやリットン・ストレイチー、そしてイギリスを震撼させたダブルスパイのガイ・バージェスやアントニー・ブラントら、さまざまな分野に多くの足跡を残した知識人たちを輩出した。

ブルームズベリーグループのメンバーやグループに関わりを持った人々のうち、主な使徒会員は以下の通り。 (括弧内の数字は会員となった年)

バートランド・ラッセル/Bertrand Russell(1892)哲学者・数学者

G・E・ムーア/George Edward Moore(1894)哲学者

G・L・ディキンソン/Goldsworthy Lowes Dickinson (1885)政治学者

ロジャー・フライ/Roger Fry(1887)美術評論家

デズモンド・マッカーシー/Desmond MacCarthy(1896)

E・M・フォースター/E. M. Forster(1901)

サクソン・シドニー=ターナー/Saxon Sydney-Turner (1902)

リットン・ストレーチー/Lytton Strachey(1902)

メイナード・ケインズ/John Maynard Keynes(1903)

アーサー・ホブハウス/Arthur Lee Hobhouse (1905)

フランク・ロレンス・(愛称ピーター)ルーカス/Frank Lawrence Lucas (1914)
第二次大戦中はブレッチレー・パーク勤務

クライブ・ベルは使徒でなかったが、息子のジュリアン・ベルは使徒会員となった(スペイン内戦で死亡)

ヴァネッサとヴァージニアの従兄で切り裂きジャックの容疑者のひとりJ.K.・スティーブン(クラレンス公の家庭教師)も使徒会員

 

良心的兵役拒否(conscientious objector)

第一次大戦が勃発すると、ブルームズベリーグループの人々は「良心的兵役拒否者」としての立場をとるものが少なくなかった。

バートランド・ラッセルは第一次大戦が勃発すると反戦運動を展開したため、1916年にはケンブリッジを追われ、1918年には獄中生活を余儀なくされる。 労働党のクリフォード・アレン率いる徴兵反対同盟(NCF)とも関わりを持っていた。

リットン・ストレイチーは「徴兵反対国民会議」に参加。実際は次々と医者の診断書を持ち出して何とか兵役を逃れようとしていたらしい。

ダンカン・グラントと当時の恋人デイビッド・ガーネットは良心的兵役拒否者として農家での仕事をするために、イースト・サセックスに移った。

自由党議員フィリップ・モレルと彼の妻オットリーン・モレルは、オックスフォード郊外のガーシントン・マナーに、良心的懲役拒否をする知識人たちに農作業などの職を与えて兵役を免除させ、庇護した。 平和主義者のフィリップは主に自由党員らによって組織された「民主的支配同盟 (UDC:Union of Democratic Control)」のメンバーだった。

 

 

ブルームズベリー・グループの人々とその周辺

ヴァージニア・ウルフ / Virginia Woolf (1882-1941)

1882年1月25日、著名な文芸評論家レズリー・スティーブンと才色兼備の母ジュリア・ダックワースの三子としてロンドンのHyde Park Gate 22番地の家に生まれ、学校には行かず両親によって家庭で教育を受ける。幼い頃、父がコーンウォール半島のセント・アイヴズに借りていた別荘「タランド・ハウス(Talland House)」をしばしば訪れ、後にここが『灯台へ』のモデルとなる。

1912年に、政治評論家のLeonard Woolf (1880-1969)と結婚(レナードセイロンから帰ってきた)し、Brunswick Square 38番地に転居。 この建物の1階にはケインズとその当時の恋人ダンカン・グラント、2階にヴァージニア・ウルフ、3階には弟のエイドリアン、4階にはレナード・ウルフがそれぞれ住んでいた。1912〜17年にレナードとヴァージニアは イーストサセックスのエイシャム(Asheham)にあるウーズ川(に近い邸宅を別荘として借り、週末をここで過ごしていた。 1919年の夏にすぐ近くRodmellのMonk's Houseを別荘として借りる。

ホガース・プレス

ヴァージニアの精神状態が悪化したこともあって、1914年にロンドン郊外リッチモンドのザ・グリーン17番地に転居、翌1915年Paradise Roadのホガースハウスに転居。 1917年に夫妻は印刷機を購入し、ここで出版社ホガース・プレスを設立。T.S.エリオットの『荒地(Waste Land)』(1922)を始めとして、ロバート・グレイブスの詩集、キャサリン・マンスフィールドやフロイドの著作なども手がけている。

やがて1924年にブルームズベリー地区のTavistock Square52番地に戻る。

ヴィータ・サックヴィル=ウェスト

1923年クライブ・ベルの紹介で、詩人にして作家のヴィータ・サックヴィル=ウェストと出会う。 ヴィータはシシングハースト・ガーデンを作り上げたことでも有名。 ふたりは互いに夫のある身だったが間もなく同性愛の関係になる。 ヴァージニア・ウルフはヴィータをモデルに『オーランドー』を書いた。

ヴィータとヴァージニアの往復書簡からインスピレーションを得て、1994年にアイリーン・アトキンスは「Vita and Virginia」という戯曲を書き、ヴァネッサ・レッドグレイヴと共演している。

もっと詳しく>>作品紹介『オルランド』Orlando (1992)

ナーバス・ブレイクダウン、自殺

病弱で、13歳の時(1895年)母を失ったこと、異父兄弟のジェラルド・ダックワースに性的虐待を加えられたこと等、子供の頃に負ったトラウマのせいか、ヴァージニアは生涯にわたってしばしば精神的不安定に陥り、父レズリー・スティーブンを亡くした時と1913年(レナード・ウルフと結婚した翌年)の二度自殺未遂をしている。 また、1906年に兄Thobyが亡くなった時もナーバスブレイクダウンに陥った。

1941年3月28日、モンクス・ハウスにいたヴァージニアは、夫と姉のヴァネッサ・ベル宛ての遺書を残し、ポケットに石を詰めてウーズ川(River Ouse)に投身自殺した。

主な著作

『船出』1915年

『壁のしみ』1917年

『ダロウェイ夫人』Mrs Dalloway1925年

『灯台へ』1927年

『オーランドー』1928年

『波』1931年

 

ヴァネッサ・ベル/ Vanessa Bell(1879-1961)

著名な文芸評論家Sirレズリー・スティーブンの長子として生まれる。ヴァージニア・ウルフは妹。

1907年、弟トゥビーの友人で文芸評論家のクライブ・ベル(Clive Bell)と結婚するが、やがて互いに愛人を持つようになる。 1911〜1913年頃クライブの友人でもあるロジャー・フライと、1913年ごろから画家のダンカン・グラントと愛人関係に。 一方でクライブの方は後にオメガ・ワークショップのパトロンとなるSt John Hutchinson夫人と交際しており、ヴァネッサも彼女の肖像を描いている。

Charleston Farmhouse

1916年にヴァネッサとふたりの息子は、イースト・サセックスのCharlestonにあるファームハウスに移り、良心的兵役拒否者として農家での仕事をすることになったダンカン・グラントとデイビッド・ガーネットもそこにやってきた。 夫のクライブ・ベル、ロジャー・フライ、ケインズ、ヴァージニア・ウルフ夫妻らが定期的にここを訪れるようになった他、リットン・ストレイチーやデズモンド・マッカーシー夫妻、E.M.フォースター、T.S.エリオット、ベンジャミン・ブリテンらもしばしば訪れた。ヴァージニアもイーストサセックスFirleに家を借りていた。

Firle, Lewis, East Sussex BN8 6LL England
www.charleston.org.uk

オメガ・ワークショップ

1913年にロジャー・フライによって設立され、本部はフィッツロイ・スクエア33番地にあった。装飾デザインの質を改善し、若い芸術家たちに収入を伴った仕事を供給することを目的とし、ヴァネッサ・ベルとダンカン・グラントはその中心的な役割を果たした。ホガース・プレス社から出版される本の装丁も手がけた

ダンカン・グラント / Duncan James Corrowr Grant(1885-1978)

画家。 スコットランドに生まれ、軍人だった父に伴いインドとビルマで子供時代を過ごす。 ロジャー・フライやヴァネッサ・ベルとともにオメガ・ワークショップに参加し、ポスト印象主義の代表的存在となる。

ダンカン・グラントはリットン・ストレイチーのいとこで、ストレイチーをはじめとしてケインズ、デイビッド・ガーネット(作家)、エイドリアン・スティーブン(ヴァネッサの末弟)、アーサー・ホブハウスなど多くの男性と関係を持っていたが、Charlestonにあるヴァネッサ・ベル一家が住む農場に同居し、のちにヴァネッサとの間に娘をもうけている。

ヴァネッサ・ベルとダンカン・グラントの娘Angelicaの夫となるDavid Garnettは、昔彼女の父親ダンカンと愛人関係にあった。

リットン・ストレイチー / Giles Lytton Strachey(1880-1932)

伝記作家・批評家。ケンブリッジのトリニティカレッジで学び、ケンブリッジ使徒会の主要メンバー。レナード・ウルフの親友。

リットン・ストレイチーとメイナード・ケインズは好みのタイプが似ていたのか、しばしば恋敵として同じ男性をめぐって火花を散らしていたらしい。

ストレイチーはゲイだったが、最も長く持続したパートナーは女性の画家のDora Carringtonで、1917年から彼の死まで同居していた。 ヴァージニア・ウルフとも一時結婚しようと思った時期があったらしい。

代表作は『ビクトリア朝傑物伝(Eminent Victorians)』(1918)『ビクトリア女王(Queen Victoria)』(1921)、『エリザベスとエセックス(Elizabeth and Essex: A Tragic History)』(1928)などの伝記、『フランス文学の道標(Landmarks in French Literature)』(1912)などの批評。

E.M. フォースター / Edward Morgan Forster (1879-1970)

ロンドン生まれ。建築家の父を幼くして亡くし、母とおばの手によって育てられる。 パブリックスクールTonbridge校からケンブリッジのキングス・カレッジに進み、使徒会に入り後にブルームズベリーグループの仲間となる知識人たちと交流を深める。大学卒業後は母とギリシャやイタリアに旅行し、その時の体験が後に彼の小説にしばしばあらわれるイタリアへの憧憬となったらしい。1912/13年にはインドも訪れる。 第一次大戦が勃発すると赤十字に加わりエジプトに赴任する。フォースターは同性愛者であり、同性愛を扱った小説『モーリス』は当時の社会情勢もあって彼の死後、1971年になって出版された。

長編小説『天使も踏むを恐れるところ』(1905)、『ロンゲスト・ジャーニー』(1907)、『眺めのいい部屋』A room with a view(1908)、『ハワーズ・エンド』Howards End(1910)、『インドへの道』(1924)、『モーリス』Maurice(1971年、死後に出版)

ケインズ / John Maynard Keynes(1883-1946)

20世紀を代表する経済学者。 ケンブリッジに生まれ、パブリックスクールのイートン校からケンブリッジのキングス・カレッジに進学。 1906年には高等文官試験を受けてインド省に入り、1915年に大蔵省に入る。大恐慌下におけるイギリスの金融問題と失業を論じた『貨幣論』(1930)に続き、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)で経済学に革命的影響をもたらした。ケインズは同性愛者として有名だったが、1925年にはロシア人バレリーナ(女性)Lydia Lopokovaと結婚する。

 

バートランド・ラッセル / Bertrand Arthur Russell (1872-1970)

代々ホイッグ系の貴族の家に生まれ政界の大物を父に持ちながら、パブリックスクールには通わず士官学校のための予備校からケンブリッジのトリニティ・カレッジに入り数学を学ぶ。1910年にケンブリッジ大学の講師となり、ヴィトゲンシュタインらを教える。 ホワイトヘッドと共著で『数学原理』を執筆。第一次大戦が勃発すると平和主義者としての立場で活動したため、1916年にはケンブリッジを追われ、1918年には獄中生活を余儀なくされ、獄中で『数理哲学序説』(1919)を執筆した。1950年ノーベル文学賞受賞。 晩年はベトナム反戦運動や原水爆禁止運動に尽力した。

 

オットリーン・モレル / Lady Ottoline Morrell(1873-1938)

(Ottoline Cavendish-Bentinck)
軍人Arthur Bentinckの娘として生まれ、病弱のため家庭で教育を受ける。 義兄はポートランド公爵に。
オックスフォード大学ソマーヴィル・カレッジで政治学と歴史学を学ぶが体調不良で中退。1902年にPhilip Morrell(1870-1943)と結婚。フィリップは1906年の総選挙で自由党下院議員に選出される。

その後モレル夫妻はブルームズベリー地区44 Bedford Squareに転居。この家にはにはチャーチルやアスキスらの政治家や、作家、芸術家などが集まり一種のサロンとしての様相を呈した。リットン・ストレイチー、ヘンリー・ジェイムズ、ヴァージニア・ウルフ夫妻、クライブ・ベル夫妻、ドーラ・キャリントン、T.S.エリオット、ジョセフ・コンラッド、A.A.ミルンらと親しく交際する。バートランド・ラッセルとは一時期愛人関係にあったことも(1911年頃〜)。

第一次大戦が勃発すると夫のフィリップは平和主義者として活動したため議席を失い、夫妻は1915年にオックスフォード郊外のGarsington Manorに転居。 この邸宅にも知識人たちが集まり、夫妻は良心的兵役拒否者たちに農作業などの職を与えて庇護した。 バートランド・ラッセルやヴァージニア・ウルフ夫妻を始めとするブルームズベリーグループの人々や、D.H.ロレンスやオルダス・ハクスリー、キャサリン・マンスフィールド、イエイツらの作家を中心とした親しい友人たちを招いてしばしば集まりを催す。1927年になると再びブルームズベリー地区( 10 Gower Street)に戻る

オットリーンはやロレンスの『恋する女たち』Women in Loveのハーマイオニーのモデルとされており、ハクスリーはガーシントン・マナーをモデルに『Crome Yellow』を書いている。

Garsington Manor, Oxford OX44 9DH
www.garsingtonopera.org

ブルームズベリー・グループの人々を描いた映画

『めぐりあう

ヴァージニア・ウルフ、レナード・ウルフ、ヴァネッサ・ベルとその子供たち(ジュリアン、クウェンティン、アンジェリカ)らが登場

『キャリントン』Carrington (1995)

ドーラ・キャリントン、リットン・ストレイチー、ヴァネッサ・ベル&クライブ・ベル夫妻、ダンカン・グラント、オットリーン・モレル&フィリップ・モレル夫妻

『愛しすぎて 詩人の妻』 Tom & Viv (1994)

T.S.エリオット、ヴァージニア・ウルフ、バートランド・ラッセル、オットリーン・モレル

『ヴィトゲンシュタイン』 Wittgenstein(1993)

ヴィトゲンシュタイン、バートランド・ラッセル、ケインズ、オットリーン・モレル

参考資料とリンク

小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』ポケット版データベース

Carendar of Authors
www.kirjasto.sci.fi/calendar.htm

Spartacus Educational
www.spartacus.schoolnet.co.uk

Knitting Circle
www.sbu.ac.uk/~stafflag/bloomsbury.html
www.sbu.ac.uk/~stafflag/lyttonstrachey.html
www.sbu.ac.uk/~stafflag/virginiawoolf.html
www.sbu.ac.uk/~stafflag/jmkeynes.html
www.sbu.ac.uk/~stafflag/duncangrant.html
www.sbu.ac.uk/~stafflag/emforster.html

『ケンブリッジのエリートたち』リチャード・ディーコン(著)/晶文社

『イギリス史重要人物101』小池滋・青木康 編 /新書館

『イギリス文学の旅』石原孝哉・市川仁・内田武彦 /丸善ブックス

『ヴァネッサ・ベル』週刊アートギャラリーNo.97 /デアゴスティーニ


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